先日のブログでお知らせした、ドイツ公演の『MITSKO』について、詳しく説明させていただきます。
まず今回はクーデンホーフ光子さんの生涯について…
クーデンホーフ=カレルギー光子(1874年7月24日~1941年8月27日)
旧姓、青山みつは、駐日代理大使として東京に赴任してきた、ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギーに見初められ、周囲が反対するなか結婚します。
夫の祖国であるオーストリア=ハンガリー帝国へ渡った光子は、周りの貴族達に奇異の目で見られますが、夫の庇護により、次第に周囲に認められていきます。
光子は7人の子供に恵まれますが、夫が子供達を完全なヨーロッパ人として成長させることを望んだため、日本語を話す事などを禁じられ、彼女は強烈なホームシックにかかります。
しかし、周囲の反対を押し切って結婚したため、日本に帰る事はできませんでした。
まもなく夫が心臓発作で急死し、遺産相続についてクーデンホーフ家に訴訟をおこされるなど、光子はつらい立場に立たされますが、裁判に勝訴し、夫の遺産を相続して、子供達を育てます。
自分の無学を悔やんでいた事もあり、光子は子供達を厳しく教育しますが、そのため子供達は成長とともに彼女に反発し、光子のもとを去っていってしまいます。
未婚だった次女のオルガだけが光子のもとに残り、光子の最後はオルガが看取ります。
光子はついに日本に帰ることはありませんでした。
詳しくは、もっといろいろありますが、だいたいこんな感じです。
もし興味を持たれて、詳しく知りたいと思われた方は、インターネットでも検索できますし、本も『クーデンホーフ光子伝』『クーデンホーフ光子の手記』などいろいろ出ていますので、良ければ読んでみてください。
では、次回のVol,3では、小西裕紀子先生の振付により、バレエ作品になった『MITSUKO』の、簡単なストーリーというか流れを説明させていただこうかと思います。
次回はまたリハーサル風景もアップさせていただきたいと思いますので、楽しみにしていてくださいね~☆
最後に、実際のクーデンホーフ光子さんの写真です。
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